沖縄の読谷補助飛行場跡の写真 ― 2015年06月18日
今朝も座って行けました。
私は本来、「地理屋」の看板を掲げて仕事をしてきましたが、8年前から歴史や政治の勉強もする必要が出てきました。
地理以外もおもしろく、自分なりに歴史の舞台になった場所に実際行くようにしています。
で、昔は沖縄に行ったら「平和学習なんてすべきではない!、自然を学べ!」と感じていましたが、そうでもないですね。
火曜日に読売新聞で沖縄戦から70年たった、という特集が1ページに組まれていました。読谷で4月1日に米軍が上陸してからの動きが記載されていました。
何気なく行った、摩文仁の丘の意味もわかりました。デジタル媒介でのひめゆりの塔の写真などがないので、次に沖縄に行ったら久しぶりに戦跡巡りをしてみたいです。
この年齢になってわかったことがたくさんあります。
ここでは、かつて2008年2月17日に撮影した掲題の読谷補助飛行場の写真を載せます。滑走路じゃなくて誘導路みたいですね。
私は本来、「地理屋」の看板を掲げて仕事をしてきましたが、8年前から歴史や政治の勉強もする必要が出てきました。
地理以外もおもしろく、自分なりに歴史の舞台になった場所に実際行くようにしています。
で、昔は沖縄に行ったら「平和学習なんてすべきではない!、自然を学べ!」と感じていましたが、そうでもないですね。
火曜日に読売新聞で沖縄戦から70年たった、という特集が1ページに組まれていました。読谷で4月1日に米軍が上陸してからの動きが記載されていました。
何気なく行った、摩文仁の丘の意味もわかりました。デジタル媒介でのひめゆりの塔の写真などがないので、次に沖縄に行ったら久しぶりに戦跡巡りをしてみたいです。
この年齢になってわかったことがたくさんあります。
ここでは、かつて2008年2月17日に撮影した掲題の読谷補助飛行場の写真を載せます。滑走路じゃなくて誘導路みたいですね。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://chibaakira.asablo.jp/blog/2015/06/18/7672217/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。