2007年夏:モンゴル・ウランバートル5日め 最終日、成田へ―2007年08月12日

ウランバートル最後の食事。10時にピックアップがくる。初日に迎えにきてくれた、お若い女性。カザフ系かウズベク系か、少なくとも西モンゴルの顔立ち。そしてすごい体格のよいメタボなドライバーさんにマニュアルベンツで連れて行ってもらう。ウランバートル空港までなんと15分。

ついたら白人さんがチェックインで並んでいた。チェックインカウンターが開いたのは10:30頃。CA便にチェックインする。ここで驚いたこと一つ。ハンドリングバイMIATになるのだがなんと搭乗手続きが手作業紙ベースなのだ。すでに座席番号を手書きで書いてもぎったものをもらう。出国して免税店へ行く。免税店といってもちょっと寂しい。家内はモンゴルのすごろく?将棋?みたいなものを購入していた。そこでもおもしろかったのは、値段のタグがトゥグルクで書いていないこと。日本円もあるので、換算しやすくてよいです。

出発直前に、さっきチェックインしたMIATのおばさんが、成田まで行く荷物のタグ見せて、と機内まで入ってくる。「Just a moment please!」といってタグの番号を見せる。 final destination is TOKYO NARITA」といったら安心したみたいだった。定刻にボーディング。西側に向かって離陸した。ライトターンでクライム。通路側なので景色はあまりよく見えないが、草原みたいなところを飛んでいるようだ。 上階にお菓子類は置いていませんでした。「チンギスハーンクッキー」とか、「モンゴルに行ってきました」、あるいは「ウランバートルまんじゅう」的なものはありませんでした。

MIATはジェット機を2機しか持っていません。A310とB737-800(当時)。すなわち、モンゴル国内にジェット機は2機しかないのです。ちなみに、空港に到着する前、B727がストアされていました。この空港からの景色を、作家司馬遼太郎は奈良の若草山、阿蘇の草千里という描写をしていた。どっかで見たことあるなーと思っていたら、そこだったんですね。

 食事が出てきた。サービスカートの上にビールないので、CAさんに普通話で「小姐、有没有 ロ卑酒?(シャオジエ、ヨウメイヨウピージュー?)」と言う。そしたら、ブラジルのブラハマビールが出てきた。 「ピン?」なんとかとCAさんに言われる。氷だった。不要氷(プーヤオピン)とでもいえばよかった。味はバドワイザーと全く同じ。薄目のブラジルビール。やや酸味を感じる。南米のビールなんていままで飲んだことなかったので、よい経験になった。ちなみにスペイン語やポルトガル語ではビールはセルベッサという。

となりのアジア人のおばさんの旅券、USAって書いてあったし、英語が母語みたいなので英語で話しかけてみた。息子さん二人いて、お一人がモンゴルで仕事をしているとのこと。そんで下の息子さんと二人で遊びに来たらしいです。メリーランドから来たらしい。ワシントン、北京経由とのこと。広東人でもう10代のころにアメリカに移住したとのこと。夢って広東語(ゴンドンワー)で見ます?それとも英語で見ます?ってたずねたら、「たまーに広東語で見ることがある」とのこと。「さっきあなた(私のこと)、中国語普通話しゃべっていましたよね?」って言われました。また、「英語はどうやって習ったの?」「学校だけですけど(千葉晃)」。「日本では何歳から英語習うの?」「中学生。ただ、しゃべれない人多いですよー」と答えておきました。「モンゴル人、結構英語熱高いんですよねー」と言っていました。そうこうしているうちに到着して入国。今回の旅で北京ではすべてピアの1番ゲートからのバス発着。737だからしょうがないですね。


ULN-PEK便 白人が7割 11:55にボーディング開始。12:06にプッシュバック。12:16に西側にヘディングしてテイクオフ。すぐにレフトターンで、ハイステーションでオーバーULN。機体番号 B-5169 L1ドアに中華人民共和国、と機体番号が書かれています。北京首都空港に再び ランディングは南側から14:08に。2時間弱ですね。暑い北京よく考えたら、夏の北京には初めてきた。

▲チェックイン すごい並びます。 CAの係員は若干怠慢。客から見えるところで新聞読んだりしている。態度もでかい。休憩所、ないのだろうか。イスラエルの航空会社 テルアビブ行きとのこと。ヘブライ語は全くわからない。読めない。

入国して、税関申告書を適当に書いて出国。いったんロビーに出て、北京に降り立ったことを証明する写真を撮影して、またまた税関申告書を書いて中に入る。チェックイン。これがまた長い。フィールドノートに「通路側にしてください」↓と走り書きして、チンカンチョガ(これ見て!)と言って男のグラホスに見せる。ウンと頷く。

ここでも書いて出国する。前に並んでいたフィリピン人は書類不備なのか、列からはずれる。持ち物検査がある。黄色い線のところで待たない人が多く、係員が注意していた。 さて、やれやれ中に入った。ここでモンゴルトゥグルクから中国元に変えようと思って、インフォメーションのお姉さんに「請問一下(チンゥエンイーシャー、) 以後英語でI would like to exchange money. Is there any bank inside the airport? 」と聞いたら、「No(ないんです)」とのこと。えー!香港は中にごろごろ銀行あるのに!
 しょうがないから往路に両替した残りの人民元でリプトン紅茶の甘いのを飲みました。外国で自販機にお金入れたの、アメリカ・コロラドのヴェイル、というところのホテルで入れた以来。

▲CAのPEK-NRT行き B757-200 B-2821 この状態で10分くらい待った。暑い。▲1時間遅れで出発  燕京ビールを飲みます。この機体B-2821、若干小便くさい。トイレの管漏れているのかと思います。 ▲チュロウと言われた。そんな単語知らない。隣のお姉さんが、ブタですと教えてくれました。猪肉はチュロウ。赤ワインもチョイス。赤ワインは普通話で紅酒(ホンジウ)という。このザーサイ結構旨い。桃屋のと同じ味。

▲CA機はあまりスピードは上げていない模様やっと22:30に到着。荷物はさすがにすぐ出てきた。成田で一番遅い到着便。 また1番から飛行機が出ます。バスです。ここでちょっと初めての経験。成田行きのCA便、出発地の成都から遅れていたみたいでした。バスは定刻にゲートを出発。オープンスポットへ到着。通常ここまできたらすぐにタラップからあがれるはずなのになんと外で10分くらい待たされました。

機内に入っても。チョンツーからのエミグレーションに手間取って結局出発が1時間も遅れました。飛び立ったのは日本時間の19:13ころ。今日は8月12日。今から21年前に日航機が墜落した日だ。その日に飛行機に乗ることはまずなかったので、空の安全を願う。

飛行機はどこから着陸したかまったくわからない。右の遠くにうっすらと町の明かりが見えていました。右旋回ばかりしていたので名古屋から熊谷あたりまで飛んで、成田にアライブしたものと思われます。そんなSTARがあるのかどうか、誰か知っている人教えてください(この当時、北京から北回りで成田に到着するなんてわからなかった)。定刻より1時間も遅れ、22:20ころ着陸。機内から出たのは22:30ころでした。すぐに入国、荷物をとってリムジンバスの切符をかう。最終便は東京駅行き。23:00。3万円でタクシーも、と考えたが乗れてよかった。00:15ころ東京駅に到着して、00:27の2437T武蔵小金井行きに乗っていく。01:10に三鷹に到着した。意外と早くついた。

▲23時発の最終便リムジンバス、東京駅行きにようやく乗れた。▲満席。1タミから乗ってきた人は1人だけ。結構驚いていた。TCATを生まれてはじめて見る。モンゴル、草原がきれいでした。いつか夢に出そうです。イヤな思い出は一つもありません。また行きたいです。



朝青龍問題でテレビ報道もたくさんされています(2007年8月現在)。問題は朝青龍自身が起こしたことですが、それは別として、モンゴルでの療養で日本のマスコミにあんなに触れられていることは今までなかったと思います。認知度も相当に上がると思います。

司馬遼太郎の「街道をゆく モンゴル紀行を読みました。司馬遼は、ハバロフスク、イルクーツク経由でウランバートルに入ったようですが、ウランバートルに到着するまでで、文庫本の1/3くらいになっています。おもしろい!モンゴル人は隣国中国人のことをあまりよい印象を持っていません。そんな理由も書いてありました。モンゴル訪問後に読むと、時代の流れを感じます。

ウランバートル(モンゴル)に行ってきました。2007年08月12日

ウランバートルから帰りました。以前、香港チェクラプコックからパリのシャルルドゴールまで飛んだときに、ウランバートルの上空を通過しました。それ以来ずっと気になっていたので、行ってみました。治安が悪い、ときいていましたが、それほどでもない模様。ウランバートルホテルに泊まりました。このホテルは、今から20年前に開高健が泊まったようです。ソ連の造りで古いけれど、快適。

ステップの草原にも出てみました。近々報告します。意外とおすすめな国です。写真は空軍基地あたりのステップです。一面何もない。アメリカのコロラドと一緒の景観。

往復とも北京経由。北京では直接乗り継ぎできないみたいで、一回外に出ました。北京首都空港、人がすごかったです。

行くまでに、北京で普通話、モンゴルでカタコトのモンゴル語、ガイドさんとロシア語で笑い、隣のグループの韓国語にも耳を傾け、隣に座ったアメリカ国籍の広東人のおばさんと英語で話し、おもろかったです。財布の中には、日本円、USドル、中国元、モンゴルトゥグルクが混在。北京首都空港の中側では両替所がなくて、今でも私の財布の中に、色々なお札が混在しています。