2007年8月8日 成田から中国国際航空北京経由でウランバートルへ2007年08月08日

夕べは12:15頃寝た。眠りは浅い。02:55に起きた。二時間半程度の睡眠だが昨晩帰宅時に丸ノ内線で爆睡したのでそれほど眠くない。シャワーを浴びて支度するとすぐ3時半。朝09:10の飛行機にあてがわれたので成田エクスプレスの新宿始発では間に合わない。どうしようと思って、色々調べていたら中野まで行けば東京地下駅の快速の始発に乗れるので、東京エムケイさんに予約を入れる。03:45だが4分前に迎えにきてくれる。運賃は4580円。南口につけてくれた。04:10に到着。と同時にゲートがあいた。

東京駅まで行き、東京地下駅から05:04のエアポート成田529Fで成田まで行く。グリーン車。椅子は逆向きになっている。理由は誰も乗らないから。これは意外だった。成田まで、我々しかいなかった。私が搭乗するCA422便は、成田で朝2本目の飛行機。9:25のウクライナ航空VV902便のキエフ行きも興味があります。それは臨時便です。ボーイング757-200 機体番号B-2844。10年前にデンバーからダラス・フォートワース間で搭乗して以来。なかなか乗れない。成田では、ノースウエストとCAのみ。

グラホスさんが乗り換えがあるから前の方に、といって6番の席をくれました。こんな感じです。757、シートピッチは狭いけれども、なかなか静かで快適でした。09:23に16L短いほうからテイクオフ。隠岐が見えるSAPRA(サプラー)ポイントは10:20に通過。となりのお姉さんは、NPO法人かなんかでモンゴルに援助に行く方でした。私と同じ、旅の指さし会話を持っていたので、話しかけました。お姉さんは後ろの仲間のところに移動してしまったので、私が窓側に座ります。日本海を過ぎると雲中飛行になりました。

搭乗し定刻に出発する。いつものようにトイレが気になるので、通路側をリクエストしていた。隣の席の女性が、「島見える」といったので、「あれは隠岐の島ですと言った」。朝が早かったせいか爆睡。起きたらもう北京時間で11時。すぐにトイレに行って着陸に備える。北京空港へは南からアプローチした。途中で何回か左右にターンした。アプローチチャートなどは見たことがないので、どのように進入するかは全く不明。北京はヘイズ・スモッグがすごい。右側に新ターミナルが見えた。B757は9割くらいの搭乗率。この飛行機は、北京経由成都行き(CTU)なのである。オープンスポットなのでバスに乗る。


入国の紙を書かされる。なんで乗り換えなのに入国の紙書かされるのか不明。あとで意味がわかる。15分くらい並んで入国。ここでもかなりの時間がかかる。入国審査官のところに、ボタンがあって、時間がかかったとか、満足とかの押しボタンがあって思わず笑ってしまう。

中に入るのにいちいち税関申告書を書かなくてはいけないもよう。 確かに何も持っていないのでNo、No、Noと書く。入ったら入ったで、今度はチェックインにものすごい時間。私が並んだところは全般的に今日ははずれ。窓口のお兄さんから1時間遅れる、ということを英語できく。ダルビッシュみたいな若いトレイニー(訓練生)だった。


ビールをまた飲んで、椅子で一眠りする。深かった。今度は夕食。チャーハンと麻婆豆腐を食べる。前者は油がなくぱさぱさ、後者は豆腐の触感が日本のとちょっと違う感じがした。

ようやく出発。サテライトの1Cから出る、ということだったが直前になって1Aから出発。生まれて初めてボーイング737-800に乗る。1番スポットはバスゲート。バスは結構な距離を走った。バスのドアが開くときに韓国人の男の子が、足を挟んでしまったようで、鳴き声が聞こえた。みなさん心配していた。

この飛行機、私の右となりはたぶんモンゴル人。もしかすると内モンゴルの中国人かも。左は、西洋人。左前は韓国人。後ろは日本人。いろんな人が乗っている。この737-800。ウイングレットは何故かない。性能的には通常の737と変わらないのだろうがパワフル。20:20頃にテイクオフとなる。

そうこうしている間に、「ドン」という衝撃があって、起きた。ウランバートルに着陸した。GMT+8で22:00頃である。夏時間で、日本と差がないと聞かされていたが、ちゃんと日本とは1時間の差があった。この辺がよくわからない。滑走路の状態はよい。ターミナルにはチンギスハーン空港と赤い文字でかかれている。飛行機はミアットの737-800だけがスポットにいる。

私から言わせると、ウランバートル空港はちょうど宮古島の空港のような感じに見えた。入国審査のところで、入国の紙に書く。そしたら、「ボールペン貸して」、というおじさんと中国人で「書いて!」という人。中国語わからないのでちょっとだけアシストしてあげた。ボールペンも置いてなかった。通常入国の紙は機内で書くことが多いがここでは違かった。

紙を書いて入国。珍しく写真撮影の禁止の条項がなかったので、韓国人がばしばし写真をとっていた。私も出てから写真をとった。入国審査官は旅券をスキャナでスキャンをしているようだ。入国のところでトイレがあるので、入る。男性用小便器はなんと1個だけ。階下のバッゲージクレイムに行って、荷物をとる。さすがに737-800なので、もう自分のバッゲージは回っていた。

おそるおそるゲートを出る。香港経由でヨーロッパに行くと、だいたい朝早く着陸するので、そんなに待っている人はいない印象がある。他方、アジアの空港って、だいたい人がわんさかいる。深夜なのに。ここウランバートル空港もこんなに夜なのにたくさん人がいた。なんかのテレビの取材クルーもいた。

旅行社のお姉さん、とっても整った顔をされている方、が待ってくれていた。ドライバーと二人で、マニュアルのヒュンダイでつれていってくれる。ホテルまで30分弱。ついたのはGMT+8の11時半くらいだった。朝3時に起きたので結構ここまでかかった。場所的には近いはずなのに。

ウランバートルホテルはスフバートル広場からそう離れていないところにあった。古い、私と同じ年くらいのソ連っぽいホテル。523室にとおされた。満室ではなさそうだが、中には結構人がいる。この男の子ってスリかな、と思った子はなんと日本人だった。白人もいた。このホテルは、司馬遼太郎も宿泊したようだ。そんな記述が街道を行く、モンゴル紀行にあった。ついでに、日本大使館もここのホテルに準備室があった。司馬さんはどの部屋にお泊まりになったのだろうか。また、未確認情報だが、開高健も、80年代のモンゴルでの釣行のテレビを見ていたら、このウランバートルホテルの前から出発する姿が映っていた。おそらく開高健もこのホテルに泊まったと考えられる。さて夜になった。

外の売店などにはさすがに行けないので、冷蔵庫の中にあるビールを飲む。なんと1年以上前のハイネケン、とモンゴルのビールを飲んで寝た。1年前のビールでもお腹こわさないところが、この私、翌朝起きるまで、まるで自分の家で寝たかのように深い眠りだった。

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